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山田栄三 (陸軍軍人)

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山田 栄三(やまだ えいぞう、1889年明治22年)9月9日[1] - 1950年昭和25年)5月7日[2])は、大日本帝国陸軍軍人陸士23期。最終階級少将

略歴

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東京府出身。工兵第12連隊長、近衛工兵連隊長、東部軍兵器部長をつとめ、第1船舶団長だった1943年9月、フィンシュハーフェンの戦いを指揮。第18軍司令部附として終戦を迎える。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

軍歴

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  • 明治42年(1909年) - 陸軍士官学校入校
  • 明治44年(1911年) 5月27日 - 陸軍士官学校卒業
  • 明治44年(1911年)12月26日 - 工兵少尉・工兵第15大隊附
  • 大正 4年(1915年) 3月26日 - 工兵中尉・工兵第15大隊副官[4]
  • 大正 9年(1920年) 4月 9日 - 工兵大尉、工兵第15大隊中隊長
  • 任官年月不明 - 陸軍士官学校本科教官兼本科訓練部附[5]
  • 大正14年(1925年) 8月 7日 - 陸軍工兵学校教官・教導大隊中隊長
  • 昭和 3年(1928年) 3月24日 - 工兵少佐
  • 昭和 7年(1932年) 8月 8日 - 工兵第7大隊附
  • 昭和 8年(1933年) 8月 1日 - 工兵中佐
  • 昭和10年(1935年)10月 1日 - 工兵第14連隊附
  • 昭和13年(1938年) 3月 1日 - 陸軍工兵大佐・工兵第12連隊長
  • 昭和14年(1939年)12月 1日 - 近衛工兵連隊長
  • 昭和16年(1941年)10月15日 - 陸軍少将・東部軍兵器部長
  • 昭和18年(1943年) 2月23日 - 第1船舶団長
  • 昭和20年(1945年) 6月30日 - 第18軍司令部附

脚注

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  1. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調 510ページに記載あり。
  2. ^ 『日本陸軍将官辞典』762頁。
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」193頁。
  4. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正7年9月1日調 713ページに記載あり。
  5. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正12年9月1日調 597ページに記載あり。

参考文献

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  • 上法快男監修、外山操編『陸海軍将官人事総覧』陸軍篇、芙蓉書房、1981年、303頁。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。